情報伝達モデルとは、社会記号論系言語人類学が論じる3つの基礎的なコミュニケーションモデルのひとつである1。3つのモデルには、それぞれ情報伝達モデル、6機能モデル、出来事モデルが挙げられている。情報伝達モデルは「意味」、6機能モデルは「機能(関係)」、出来事モデルは「出来事(コンテクスト)」を中心にしたコミュニケーション理論である。
それぞれ象徴的なコミュニケーション観を示しているため、モデルからさまざまに派生した言語イデオロギーが読み取れる。本記事では、情報伝達モデルを紹介した上で、そこから派生する3つの近代イデオロギーについて解説する。
- 情報工学(システム理論など)
- 個人主義(社会契約論など)
- 科学主義(言語理論など)
情報伝達モデルの特徴
「コミュニケーションとはなにか」と問いかけられると、おそらく一般的には「情報の伝達」と答えられることが多いと思う。この発想の基盤とも言えるのが情報伝達モデルである。このモデルの模式図が下記で、ここで示されるのは「AからBへの送信・流通」だと捉えてもらいたい。
情報伝達モデルは、次の6つの要素で成り立つ。まず着目してもらいたいのが、情報伝達モデルの出発点はまず「送り手」となっている点だ。
- 送り手
- 受け手
- メッセージ
- チャンネル
- コード(文法、アスキーなど)
- 言及指示(言われていること)
順に追うと、送り手の持つ情報がなにかしらの解釈に則って信号化(encode)され、接触回路を通り、それを受け手が解読する(decode)ことで情報が復元される、という流れになっている。図で送り手と受け手の双方の信号化と解読に「解釈コード」が関わっているように、情報伝達モデルのコミュニケーションの成否は解釈コードの一致度合いで測られる。
情報伝達モデルにおいて、情報は「ただ送られるもの」となっており、その起源にあるのは先ほども言及したように「送り手」であることがわかると思う。つまり、情報伝達を支えるのはできるだけ一致した「解釈コード」であり、送り手も受け手も同じコードを共有する独立した、つまり同一的な「個人」が想定されている。違った角度から捉えると、現実世界の文脈(コンテクスト)は背景化されており、コミュニケーションに先行するものとしてシステム的/体系的な意味の構造が強く前提にされている。
この説明からもわかるように、情報伝達が単なる目的に据えられたコミュニケーション観が情報伝達モデルである。さらに抽象的に言うと、文法・アスキーをはじめとしたコードが中心のため、命題的・言及指示的な意味に焦点化したメタ意味論的なコミュニケーションモデルと言える。
情報工学、社会システム論のイデオロギーについて
情報伝達モデルはシャノン&ウィーバーの情報理論をひとつの源流としており、いわば情報理論的・サイバネティクス的なコミュニケーション観と捉えることができる。シャノンの情報通信理論では、送り手から受け手へと「フィードバック」が続く関係が捉えられているため、その一連のメカニズムにより情報が流通(サーキュレーション)する社会システム論的な考え方の原型ともなっている。その例として、社会学者であるルーマンの社会システム論や、カルチュラル・スタディーズで著名なスチュアート・ホールのエンコーディング/デコーディング論なども挙げられる。
情報理論を基礎とするため、プログラミングなどの人工言語や論理回路、情報通信技術の機械技術を発明・開発した情報工学者の言語観が情報伝達モデルだと言える。このコミュニケーション観では、現実の場・出来事・文脈で生じる相互作用がどうしても背景化(脱コンテクスト)されており、ここでは詳述しないものの、人工的な言語理論はさまざまな行き詰まり方を見せている。
※ 昨今、流行の生成AIはこれまでの情報伝達モデルとはまた異なる技術を基にした展開を垣間見せている。現在の生成AIの成功と、それを支える人間との類似性については下記を参照。
ぼくは以前、「AIが『考えない』ことを考える」という生成系AIに関するイベントのレポートで、ChatoGPTの技術モデルである Transformerのメカニズムは人間の言語コミュニケーションにも近しいことを指摘した。
レポートで述べたのは、人間のようには考えないChatGPTから人間も考えないで学習する言語コミュニケーションのメカニズムを「考える」ことができるという、少しひねった論点だった。
けれども、実際には、ChatGPTと人間は異なる存在だ。前に執筆した記事では、その差異には踏み込まなかった。次の記事では、補足として言語人類学的な詩学の議論を紹介し、機械と人間の差異についても解説した。詳細は下記記事を参照してほしい。
情報理論の父とも呼ばれるシャノンの理論については下記の記事を参照してほしい。本記事では言及しないものの、情報伝達モデルが現実の文脈を背景化しつつも、現実に起きる「確率」の考え方に焦点化している基となる議論が垣間見える。
個人主義的、社会契約論的な関係性について
情報伝達モデルでは、情報が「ただ送られ」、近しい解釈コードを共有する、同一的な個人が想定されていると解説した。さらに、それらがさまざまなフィードバックを通して、集合的な社会のメカニズムの構築過程が想定される。
以上を敷衍すると、情報伝達モデルの考え方は、人為的な意味体系としてつくられる法・契約を共有する近代的な発想とも近しい。つまり、社会はあくまで人間が契約を結んでつくるものと考える発想は、情報伝達モデルを基盤としている。さらに言えば、創作物や発明を「個人の権利」に帰属する著作権の考え方も、実は情報伝達モデルの考え方と近しい。
情報伝達モデルは、現実で生じるコミュニケーションに先立って「個人」を想定するため、個人主義的・社会契約論的な近代言語イデオロギーを示している。
科学的な言語理論との親和性について
送り手・受け手という個人を想定し、そこで共通する解釈コードに焦点化した情報伝達モデルは、そのまま近代的な言語理論が想定する人間観・言語観をも示している。というのも、生成文法をはじめとした近代的な言語理論では解釈コードである「文法」を研究対象の中心に据え、他の動物にはない、人間だけが高度に言語を操れる特有のメカニズムを探ってきた。
これらの言語理論では、現実のコンテクストが果たす役割が最小化、ないし「ノイズ」として扱われる傾向にある。あくまで、焦点が当たっているのは解釈コード(文法)を使いこなす「人間(近代的個人)」の言語能力のためである。
ただ、生成文法も発展しており、敵対的に登場した認知文法との接点が模索されるなど、一部のコンテクストが言語に与える影響がまったく考慮にされていないわけではない。だが、それでもなお、管見の限り、個人・自律・責任といった近代的主体や言語イデオロギーをこれらの言語理論はさまざまな形で引き継いでいる、と自己責任論と言語文化イデオロギーを研究してきた者としては指摘しておきたい。
おわりに
以上、社会記号論系言語人類学と近代イデオロギーの観点から情報伝達モデルについて解説した。ここでは、トピック程度の言及で済ましているものも多く、もっと入り組んだ議論があるという考えを持つアカデミアの方もいると思う。もちろん、そうだと思うが、最後に言及したように、総合的に考えると一定程度、情報伝達モデルが象徴する近代的なイデオロギー性を色濃く引き継いでいると判断できるものも多い。
イデオロギー性に対する価値判断は、社会記号論系言語人類学自身にも理性的な近代主義的イデオロギーとして大いに当てはまる側面がある(この点は、小山(2008)がしつこいほど言及している)。ぼくもまた、それをメタ認知しながら考え事をしてきたし、そうすることで物事をより複眼的に捉えることに役立ってきた。
生成AIや確率に関して途中で言及したように、「情報伝達モデル」に象徴される特徴があったとしても、イデオロギー批判をすれば済むわけでもないというのが基本的なぼくの考えだ。このへんの発展的な議論(?)はまたどこかで。
参考文献
小山亘(2008)記号の系譜 社会記号論系言語人類学の射程、ひつじ書房
───(2009)社会文化コミュニケーション、文法、英語教育:現代言語人類学と記号論の射程、綾部保志・小山亘[編]言語人類学から見た英語教育、ひつじ書房
───(2012)コミュニケーション論のまなざし、三元社
- 本記事の解説は、小山(2008, 2009, 2012)に依拠している。 ↩︎