2024年5月、博士論文の最終審査に合格し、博士号(国際日本研究)をもらうことができた。この記事では、その博士論文の序文をそのまま掲載する。大学のレポジトリに博論はアップロードされるものの、たまに見る人もいるようなので前回の投稿から最終版に更新することにした。
これから書籍の執筆作業に徐々に入っていく。しばらく準備はできていなかったのだけど、このサイトでもちょくちょく進捗や面白いネタがあれば公開していくつもりだ。では、下記が序章の全文になっている。少し長いので要点を箇条書きでまとめたので参考にしていただければ。
※なお、軽微な修正は行なっている。
- 目的
- 日本社会にて繰り返される自己責任論が生成・再生産されるメカニズムを明らかにすること
- 事例・データ
- 2004年イラク日本人人質事件
- 2015年IS日本人人質事件
- 1980年から2022年までの「自己責任」が含まれる全国新聞五紙の記事
- アプローチ
- 事件のコンテクストとなる日本社会の自己責任の言説を歴史的に分析する
- 人質らに帰せられた自己責任論がどのように行われたのかを談話分析する
- 背景・意義
- 「自己責任」は「失われた30年」とも並行して用いられ始めたことばであり、その系譜を読み解くことは日本社会の閉塞的な状況を鏡のように示す
- 自己責任が生成・再生産されるメカニズムを明らかにし、硬直的な言論を読み解くことは、日本社会を再考する糸口となる
- 目標・新規性
- 自己責任論に投影される言語コミュニケーションから、日本の自己観と責任観を文化論理として読み解き、「日本人」についての理解を深める
序章 いま、自己責任論を問う意味
本稿は、日本社会において責任を特定の主体に帰せる自己責任論が繰り返されるメカニズムを探究するものである。日本では犯罪や災害をはじめとした被害を受けた当事者に自己責任論が寄せられることが多い。その最たる例として2004年のイラク日本人人質事件の人質とその家族に向けられた自己責任論が知られる。
イラク日本人人質事件とは、外務省から危険地域と指定されるイラクに赴いた日本の一般人3名が人質となった事件である。人質交換の条件として日本政府はイラクからの自衛隊撤退が要求された。その結果、事件当初から人質3名には「自己責任だ」という声が各方面から数多く寄せられ、人質の救出を訴えたその家族らも国内外に「迷惑をかけている」と批判された。同様の自己責任論は、2015年のイスラム国(Islamic State、以下IS)日本人人質事件でも生じた。本稿では、このふたつを「中東地域日本人人質事件」と呼称し、これら事件のコンテクストとなる日本社会の自己責任の言説を歴史的に分析するとともに、人質らに帰せられた自己責任論を中心に分析を行う。
2000年代以降の日本社会では、中東地域日本人人質事件を機に、失敗や苦しい状況に陥ってしまった人々にその責任を問う議論が自己責任論として知られるようになった。つまり、自己責任論は相対的な弱者を批判する主張として知られ、論争の種になってきたのである(小坂井 2020 [2008]; 宇都宮 2014; 木下 2017)。
たとえば、2008年当時、大阪府知事だった橋下徹による私学助成金を削減する政策に対し、その取り下げを訴えた高校生に橋本知事が応答したのも自己責任論だった。2008年当時、大阪府による私立学校の学校運営費に対する助成金を、小学校と中学校で25%、高校で10%、幼稚園で5%それぞれ削減する方針が決められ、その削減が実施されると、児童・生徒1人あたりの助成金額が小中学校で全国最低、高校はワースト2位の水準に転落することが記事で報じられている1。高校生らは、いじめによる不登校や母子家庭などの事情で私学に進学し、私学助成金が削減されると、学費のためにアルバイトに従事する必要があるため、安心して学べる環境がつくられるように政策の見直しを橋本知事に訴えた。これに対して橋本知事は、まず大阪府の借金を減らすことを優先していること、社会の実態を考慮した上で政治的な判断を下していること、その判断に基づいた政治的主張を高校生にも返すこととした。その応答は、当該高校生が私立高校ではなく公立高校に進学する選択肢もあったにもかかわらず、なぜそうしなかったのかを問いかけるものだった。高校生らと橋本知事のやりとりの一端は、次のリンク先にて確認できる。本文の以下の会話文は下記より抜粋した2。やりとりのなかで、「落ちるのは私たちの自己責任ですか」(下線部は筆者による)という高校生の問いかけに対し、「半分大人扱いされることを、もっと自覚しなきゃ」と義務教育を終えた高校生らに橋下知事は応じた。続けて、過酷な環境に倒れてしまう人もいることを訴える高校生に対し、最後の手段に生活保護制度があることを言及し、受けられない人がいたとしても「いまの日本は、自己責任がまず原則」と橋本知事は述べている。
以上の議論のなかには、さまざまな論点が含み込まれている。日本政治の財政問題、教育機会の平等、子どもと大人の線引き、あるいは困難を訴える人々に対する正論の是非などが論点に挙げられる。しかし、どの観点からなにをどう問題と考えるのかは一概に判断できるものではない。だが、ここで着目したいのは、こうした政治的な判断をめぐるやりとりのなかに、頻繁に浮かび上がるのが「自己責任」という一語だという点である。
高校生らと橋下知事のやりとりに見られるように、社会と個人の関係が問われる出来事に対し、ひとたび自己責任論を取り出せば、論者の政治的立場が引きずり出される。つまり、自己責任は公共の場にてイデオロギー的判断のいわばものさしとなっている。自己責任という用語は新聞やニュース記事の見出し、あるいはSNSの短いテクスト上にて出現し、主義主張を訴えやすい。逆にいえば自己責任とは安上がりに自他の責任を問いかけられる経済性の高いことばだともいえるだろう。
自己責任という用語は日本社会で何度も繰り返し論じられてきた(青山 2020, 2021)。本稿の3章で分析的に示すように、用語としての自己責任は、バブル経済崩壊以降の金融構造改革をはじめ、新聞記事内で使われてきた。その後も1990年代以降に進められた資本主義経済における自由な競争を是とする新自由主義政策、また2000年代に問題視された社会構造的な格差や不平等にまで言及される文脈のなかでも自己責任という用語は使われてきた。
こうしたなかで、本研究では、日本社会において自己責任という用語がたびたび使われ話題になることを自己責任論が生成・再生産されるメカニズムを読み解くことで明らかにすることを目指す。特に、2004年と2015年の中東地域日本人人質事件の人質とその家族に向けられた自己責任論について、言語人類学の手法を用いて分析し、そのなかから「自己」と「責任」をめぐる文化規範を導き出すものである。したがって、本研究における大きな問いと目標は以下の二点である。第一に、日本社会で自己責任論はなぜ・どのようにして繰り返されてきたのかを明らかにする。第二に、自己責任論の分析から日本の自己と責任の文化モデルを分析的に抽出することである。
日本社会で自己責任論が生成・再生産されるメカニズムを明らかにすることを第一の目標に掲げるのには次のような理由がある。「自己責任」は「失われた30年」とも並行して用いられ始めたことばであり、その系譜を読み解くことは日本社会の閉塞的な状況を鏡のように示すと考えるためである。「失われた30年」は、1990年代から2020年代の日本社会の苦境を指す用語で、バブル経済崩壊以降による経済低迷をはじめ、度重なる改革とその失敗を総称したものといえる。要するに、1990年代から30年間にわたって日本社会が経験してきた社会変容・経済低迷・政治不信が「失われた30年」の意味に込められている。それゆえ、「失われた30年」の期間において、自己責任論は社会をテコ入れすることばとしても、さまざまな当事者の社会的な安全性を脅かすものとしても論じられてきた。こうした自己責任論に相反するように、他者への排他的な言説を流布する者、また富の格差をもたらす社会構造に対する批判的な言説も絶えず寄せられてきた。先ほどの、高校生らによる橋下知事への訴えも、自由を与えない社会や政治を問題視する一事例である。
こうした経緯から、自己責任が生成・再生産されるメカニズムを明らかにし、硬直的な言論を読み解くことは、日本社会を再考する糸口となる。自己責任の是非を論じる前に、本稿では自己責任が語られてきた歴史と個別具体的な出来事の状況を通時的・共時的なデータ分析を量的・質的の両面から実施することで浮かび上がらせたい。橋下知事が高校生らに「大人としての自覚」を指摘したように、「自己責任」が用いられるコミュニケーションには、大人としての社会的な適切さを判断するものさしとなっている。そこで、本稿では自己責任論に投影される言語コミュニケーションから、日本の自己観と責任観を文化論理として読み解く。そうすることで、「日本人」についての理解をいま一度深めたい。それが本稿の大きな目標である。
一方で、自己責任に関する論点は国内の問題に限られない。1990年代は、世界的には冷戦崩壊を機に市場経済の自由化が進んだことに加え、一般家庭へとコンピューターが普及したことで情報の自由化も加速した時代である。1990年代における急速な社会変容はグローバリゼーションと呼ばれ、人・物・情報の自由化は産業形態・労働環境・家族関係の変化ももたらした。日本では1970年代以降には大衆消費社会化が進み、第三次産業へと経済・労働市場の重点が移り、その過程で旧来的な大所帯の家族から少数の核家族化が進んだ。平たく言えば個々人に最適化した生活を享受できるような社会へと変容していったのが20世紀末の日本社会であろう。こうした自由化が進む社会変容と並行して論じられたのが自己責任であった。そのため、自己責任は人文社会科学において広く現代社会を表す論点として言及されてきた。
こうしたなか、管見の限り、自己責任はあくまで政治的・学術的なトピックのひとつであり、その議論はそれぞれが依拠する理論・方法論に基づいたものに限定されてきた(cf. 種村 2005, 2013, 2015; Hook and Takeda 2007; 内藤 2009; モンク 2019)。学術研究を遂行する上では、議論対象や方法を限定することは、論点を拡散させず、問いに応じた答えを引き出すために有意義なアプローチではある。しかし、特定の理論的枠組みのみに依拠すると、自己責任が陰ながらつむぐ意味の網の目を見落としてしまいかねない。
そこで、本稿では、自己責任をめぐる言語・コミュニケーション実践を自己責任ディスコースと位置づけて分析的に論じる。その上で、記号的な言語・コミュニケーション実践をディスコースとし、ことばと歴史・社会文化の関係を問う言語人類学を中心に分析を進める(cf. Jakobson 1960; 小山 2008; 井出 他 2019; Gal & Irvine 2019)。そうすることで、前述した日本社会の自己責任ディスコースにおける「自己」と「責任」の文化論理の関係についての考察を深めたい。
本稿の章構成は以下の通りである。
まず、「第一章 自己責任論はどう語られてきたのか」では、responsibilityと責任の語源的相違やその比較社会文化論的な議論を整理する。加えて、自己責任が懲罰的な責任を意味する自業自得とも類似的に用いられることに着目し、自己責任の言及事例からそのメタ意味論的な分析を行う。
次に、「第二章 言語人類学的研究」では、本稿が依拠する理論・方法論として言語人類学的な記号論を示す。特に、自己責任ディスコース研究とも関連する語用論やメディア研究におけるイデオロギーを言語人類学的な観点から指摘し、本稿が分析で援用するGal & Irvine(2019)の記号イデオロギー論を論じる。
自己責任ディスコースの歴史・社会文化的な編成過程を明らかにするため、3章から5章までは年代順に分析を進めていく。
まず「第三章 『自己責任』の言説史──全国新聞五紙を中心に」では、1980年代から2022年までの全国新聞五紙における「自己責任」語彙使用数の推移を示し、そのデータ的な扱いを示した上で、2004年のイラク日本人人質事件に至る1980年から2003年までの歴史・社会文化的な文脈を分析する。
その上で、「第四章 イラク日本人人質事件分析と戦後民主主義」では、2004年のイラク日本人人質事件やその人質と家族に対する自己責任論に関し、その初期報道、行政府や人質とその家族の対応の分析を行う。その分析内容を踏まえて、イラク日本人人質事件そのものと自己責任論に関係する戦後民主主義などの議論を考察する。
続けて、「第五章 IS日本人人質事件分析と世間」では、IS日本人人質事件における自己責任論の言語人類学的な談話分析をおこなう。特に、2015年に国内外に広く拡散したブログ記事とそのコメントを対象とし、自己責任論の談話的な理由づけに着目し、そこで顕現する文化規範を分析する。
これまでの分析と考察のまとめとなる「第六章 自己責任ディスコースの文化論理」では、自己責任ディスコースが生成・再生産されてきたメカニズムとしてその記号イデオロギーを分析する。特に、自己責任ディスコースから読み解ける文化論理に着目し、自己観と責任観の関係を考察する。
最後に、「終章 『自己責任』はどう語り直せるか」では、自己責任をめぐる解釈と帰責の連鎖を踏まえ、その訂正可能性を探る。
以上が本研究の構成である。自己責任ディスコースの複雑さと対峙し、その生成・再生産メカニズムを明らかにすることが本研究の目標である。なぜ日本社会ではこれほどまでに自己責任ディスコースが生成・流転し、拡散されてきたのか。この問いへの答えを明らかにすることに向け、次章以降で問いと現象の輪郭を明示化していきたい。
おわりに
以上が博論の序章全文である。博論の章構成は以下となっている。
序 章 いま、自己責任論を問う意味
第一章 自己責任論はどう語られてきたか
1.1 自己責任のメタ意味論
1.2 自己責任論と自業自得
第二章 言語人類学的研究
2.1 言語/記号人類学
2.2 メタ語用論とインターフェース
2.3 記号、言説、批判
2.4 小括
第三章 「自己責任」の言説史──全国新聞五紙を中心に
3.1 分析データとその方法
3.2 全国新聞五紙における自己責任ディスコースの変遷
3.3 1980年から2003年の言説史
3.4 考察
3.5 小括
第四章 イラク日本人人質事件と戦後民主主義
4.1 イラク日本人人質事件とは
4.2 分析手法
4.3 イラク日本人人質事件のディスコース分析
4.4 2004年から2014年の言説史
4.5 小括
第五章 IS日本人人質事件と世間
5.1 IS日本人人質事件とは
5.2 分析概念と手法
5.3 IS日本人人質事件のディスコース分析
5.4 考察
5.5 小括
第六章 自己責任ディスコースの文化論理
6.1 自己−責任の文化的インターフェース
6.2 自己責任ディスコースの生成・再生産メカニズム
終 章 「自己責任」はどう語り直せるか
博論の「第五章 IS日本人人質事件と世間」に関する議論は、すでに公開している論文「自己責任ディスコースの詩的連鎖」の内容に加筆修正をしたものとなっている。こちらも要点をまとめた記事を公開している。
参考文献
青山俊之(2020)「自己責任ディスコースのメタ語用論的範疇化によるタイプ分析」『国際日本研究』vol.12: pp. 121-136.
────(2021)「自己責任ディスコースの詩的連鎖―ISIS日本人人質事件におけるブログ記事に着目して―」『社会言語科学』23(2): pp. 19-34.
Gal, Susan & Irvine, Judith T.(2019)Signs of Difference: Language and Ideology in Social Life. New York: Cambridge University Press.
井出里咲子・砂川千穂・山口征孝(2019)『言語人類学への招待 ディスコースから文化を読む』ひつじ書房.
Jakobson, Roman(1960)Linguistics and poetics. In Sebeok, Thomas A. Style in language. pp. 350-377. MIT Press.
木下光生(2017)『貧困と自己責任の近世日本史』人文書院.
小山亘(2008)『記号の系譜 社会記号論系言語人類学の射程』三元社.
小坂井敏晶(2020 [2008])『責任という虚構 増補版』ちくま学芸文庫.
宇都宮健児(2014)『自己責任論の嘘』ベスト新書.
- 2008年当時、大阪府による私立学校の学校運営費に対する助成金を、小学校と中学校で25%、高校で10%、幼稚園で5%それぞれ削減する方針が決められ、その削減が実施されると、児童・生徒1人あたりの助成金額が小中学校で全国最低、高校はワースト2位の水準に転落することが次の記事で報じられている。
朝日新聞デジタル「橋下知事、私学助成25%削減へ 小中学校、全国最低」(2008年6月3日)〈http://www.asahi.com/special/08002/OSK200806030006.html〉【2024年3月23日確認】 ↩︎ - 高校生らと橋本知事のやりとりの一端は、次のリンク先にて確認できる。本文の以下の会話文は下記より抜粋した。
「橋下知事と高校生の意見交換」(2008年12月18日)〈http://www.daikyoso.net/_wp/wp-content/uploads/2008/11/bw-uploadsi7sjupjtjpacxo2cjvqqtolmlsqsa4kpgucucgrm.pdf〉【2024年3月23日確認】 ↩︎