社会記号論系言語人類学とは──一味違うパース記号論の新展開

 社会記号論系言語人類学とは、出来事と言語との歴史・社会文化的な関係を包括的に研究する現代言語人類学のことを指す。シカゴ大学を拠点として活躍したマイケル・シルヴァーステインに師事した小山亘が中心となり、「社会記号論系言語人類学」として日本で紹介されるようになった。

「記号論」というと、1960年代から80年代にかけて現代思想として流行した、ソシュールやレヴィ=ストロース、そしてジャック・デリダをはじめとしたフランス現代思想の文脈における「記号学(semiology)」をイメージするのが一般的だろう。だが、ここでいう記号論(semiotics)が由来とするのはチャールズ・サンダース・パースの記号論である。

社会記号論系言語人類学の言語コミュニケーションモデル

 パース記号論を言語理論に取り入れたのがロシアの言語学者ローマン・ヤコブソンで、さらにこれら理論を具体的な出来事の研究へと包括したのが言語人類学だとひとまず流れを抑えてもらえればと思う。

 パースの記号論、ヤコブソン、シルヴァーステインの言語理論をまとめた上で、現代で主流となっている社会言語学をはじめとしたコミュニケーション研究を包括したのが社会記号論系言語人類学であり、それらの要点を抑えるだけでも非常に大変だ・・・

 そこで、まずは社会記号論の核として理解すると、大まかな概要を捉えられる3つの言語コミュニケーションモデルをここでは紹介したい。

情報伝達モデル

 情報伝達モデルは、一般社会でも広く受け入れられている/捉えられているコミュニケーション観であり、後述する6機能モデルとも近しい型を持っている。このモデルが広く浸透しているのは、これが電話、通信、コンピュータをはじめとしたさまざまな情報工学の専門家たちによって作られたものだからだ。

 具体例としてチャットのやりとりを挙げると、ショッピングセンターで買い物している親子が別行動をしている際、再会する時刻・場所を連絡するため「お母さんは1時間くらい買い物してくるから、16時にスーパーの前に集まろうね」と子どもに送ったとする。ここでは、メッセージの送り手、受け手、メッセージ自体、そしてこれらをつなぐ送信・配信・受信に関する条件が満たされ、コミュニケーションが成り立っている。

図1 情報伝達モデル(小山 2008: 202)

 情報伝達モデルは、送り手受け手メッセージ自体チャンネルコード(文法、アスキーなど)、そしてメッセージで「言われていること」(言及指示)の6つの要素で成り立っている。メッセージ自体と、言及指示の違いは分かりにくいかもしれないが、要するにメッセージは通信など情報環境のなかにあり、言及指示が実際の世界(文脈=コンテクスト)のなかに実在するものだと捉えていただきたい。

 このモデルで中心になるのは、あくまで送り手から受け手への情報伝達であり、言及指示される内容やそのコンテクストは二次的なものになっている。もっと言えば、このコミュニケーション回路を成り立たせるシステムを作る工学者たちが情報伝達をつなぐチャンネルとそのコードが中心となったものだ。そのため、情報伝達モデルは語彙文法などに焦点化した言語理論(生成文法など)と親和性が高い。

 コミュニケーションが起こる現実の出来事に先だった、メールやチャットなどのコミュニケーションの概念図が図1だと思ってもらいたい。

 情報伝達モデルは、まず個々人があって、その個々人でコミュニケーションが行われるという発想の仕方になっており、個人主義的な社会観、また個々人が契約関係を結ぶ社会契約論的な思想がバックボーンにあるコミュニケーション観である。

6機能モデル

 続いて紹介する6機能モデルは、ロシア・フォルマリズムの代表的人物として知られるローマン・ヤコブソンが提唱した。ヤコブソンは、第二次世界大戦期にナチスの弾圧から逃れてアメリカに移住し、ハーバード大学にてパース記号論と出会い、それを応用した言語理論を提唱した人物である。

 ヤコブソンの6機能モデルは、情報伝達モデルの主要な6つの要素とあまり違いはないものの、異なるのが要素同士の関係性にある。言い換えれば、先ほどのモデルでは情報伝達の機能に一元化した「単一機能主義」だが、6機能モデルではそれぞれにコミュニケーションで焦点が当たる機能がバラバラな「多機能性」を重視したものである。

図2 6機能モデル(榎本 2019: 22を改変)

 6機能モデルでは、6つの機能があらゆるコミュニケーションにはたらいていると捉えるものの、どの要素が前面に出るかは場面やコミュニケーション内容によって異なるものとして動態的に捉えられている。

  • 詩的機能(POETIC):メッセージに焦点化
  • 表出的機能(EMOTIVE):メッセージの送り手に焦点化
  • 動能的機能(CONATIVE):メッセージの受け手に焦点化
  • 交感的機能(PHATIC):接触回路に焦点化
  • メタ言語的機能(METALINGUAL):解釈コード(意味・文法など)に焦点化
  • 言及指示的機能(REFERENTAL):言及指示対象に焦点化

 ひとつひとつの機能を説明すると長くなってしまうので、ここでは割愛するものの、図2を見てもらうとわかるように、メッセージを強調する「詩的機能」が中心となったモデルであると把握してもらえたらと思う。

出来事モデル

 最後に紹介するのが、歴史・社会文化的なコンテクストとして生じるヒトとヒト、ヒトとモノ、モノとモノの「出会い」に焦点化した出来事モデルである。出来事モデルは、メッセージに焦点化した6機能モデルの中心にある詩的機能の考え方を推し進めたもので、そのためふたつのモデルはお互いに変換可能性がある。

 出来事モデルでは、6機能モデルで背景化されている「コンテクスト」により焦点を当て、「いまここ」でなされる偶発的な出来事とそれを取り巻くミクロなコンテクスト、さらにそれを介して生成するマクロな歴史・社会文化的なコンテクストが相互作用しながら変容する過程を捉える枠組みとなっている。

図3 出来事モデル(小山 2008: 224, 2012: 164)

 出来事モデルの中心にあるのが、常に偶発的な「いまここ」を示す起点(場所・時点)であるオリゴ(origo)である。出来事・コンテクストの中心は常にこのオリゴであり、あらゆる場・文脈、ヒト・モノ・コトは常に「いまここ」で生じ、その出来事は一回きりの特殊なもので、特定の規則性に還元できない。そのため、オリゴの発想は理工学で重視される因果を基軸にしたものではなく、出来事を中心に考える人文学的な発想だとも言える。

 オリゴはこれだけだと少し抽象的でわかりづらいと思うので、少し例を挙げて下記に紹介した1

 とある仕事場で社長の御曹司で役員の青木が「これ、来週までにやっといてくれる?」と平社員の須田に言ったとする。この際、オリゴ(いまここ)は発話者の青木の近くにあり、「これ」が指すものは青木が持っていたり、須田にわかるようになにかを指差すなどしていたりすると想像できると思う。当然、「来週」もその発話が行われたときから見て「来週」であり、「やっといてくれる?」は青木と須田の社会的な上下関係を意味しているこのように、ことばの意味は、言われていることとなされていることのふたつの次元が関わっている2

 青木による「これ、来週までにやっといてくれる?」の発話を受けて、須田は「明日から有給を取って旅行に行くので、ちょっとそれはできかねますね・・・」と応じたとしよう。ここで、青木の言った「これ」が須田の応答で「それ」と転じている点に着目してみよう。一般的に、日本語では「これ > それ > あれ」の順で近いところから遠いところへと指示の意味が変化する。もしたとえば、須田が「これ」を使うなどして受け答えすれば、青木の見ている視点(オリゴ)に合わせ、両者のスタンスを近づけていることになる(これをフッティングという)。

 ほかにも、須田は社長の御曹司である青木に対し、敬語を使うこともなく受け答えしていることから、上下関係はあれど、親しい距離感を築く関係であることも読み取れる。そのように考えると、青木の「これ、来週までにやっといてくれる?」は、須田にとっては<命令>というよりも、<依頼>と解釈したことだろう。須田が青木に合わせて「これ」ではなく、「それ」と言ったのは、仕事の依頼にらいし、休みを取ることの「申し訳なさ」がにじんでいるのかもしれない。

 もし須田が同僚に、「いやー、青木さんに『来週までにこれやっといてよ』って言われちゃったんだけど、ぼくの代わりにやっといてくれないかな?」と言ったとしたら、青木の発話は須田に間接的に引用されているため、オリゴはコミュニケーションを介してズレて転移している。

 オリゴの発想はいかなる意味を持つのか。重要だと思われる三点を下記にまとめる。詳細は別記事で紹介したい。

  • 言語コミュニケーションの意味を観念的に理解するのではなく、常に「いまここ」の場・出来事を起点に考える視座を提供した。
  • 特定の言語や社会文化的現象のみを対象にするのではなく、自然と文化をまたぎ、あらゆるヒト・モノ・コトを読み解くメタ的な分析概念として有用である。
  • 象徴的な概念や規則だけではなく、指標的な規則性を読み解くのにオリゴは必須の概念である。

 出来事モデルの前提となる考えは、シルヴァーステインによる名詞句階層と呼ばれる文法構造の発見を基にしている。名詞句階層をはじめとした関連する言語理論は、追求すると非常に範囲が広く、複雑なため、ここでは割愛する。ちなみに、その言語理論をまとめたのが下記の図4と図5である。

図4 普遍文法の主要4範疇とその相関の概略図(小山 2012: 177)
図5 発話出来事中心の社会言語空間と言語範疇階層(小山 2009a: 46)

考え方:テクスト化とコンテクスト化(語用とメタ語用)

 社会記号論系言語人類学の核となるコミュニケーションモデルである6機能モデルと出来事モデルについて振り返ると、6機能モデルがメッセージを際立たせる詩的機能、出来事モデルが記号と記号の「いまここ(オリゴ)」の出会いとその転移に焦点化したものであった。社会記号論ではこれらの変容をテクスト化(entextualization)コンテクスト化(contextualization)の二段階のプロセスで構築されるものと捉えている。

 ここでいう「コンテクスト」とは、歴史・社会文化的に継承されてきた知識、常識、習慣などを含み、そのコンテクストは言語構造/使用にテクストとして投影されていく。この二重性から見出される記号過程を分析するのが言語人類学である。

 言語人類学が捉えるコミュニケーションには、前提となるコンテクストを意味するものと、そこから歴史的に新しい意味を創出するもののふたつがある(小山 2009b: 24-28)。たとえば、日本語の「すみません」は礼やへりくだりを意味し、それは比較的軽い非を詫びる謝罪のことばとして用いられることもあれば、人混みをかき分けて電車で乗り降りする際にも用いられる。このように、日常的な言語使用はその表現や行為に対する状況的・前提的な「適切さ」が鑑みられる。

 次に新しい意味を生み出す側面についても例を見ると、謝罪場面で「すみません」と一言で済む状況で「すみませんすみません」と繰り返し言及があった際、謝られた側は「過剰」「軽率」だと感じたとすれば、そのネガティブな印象が新しいコンテクストとなっている。

 コミュニケーションの前提創出という両面に着目することで、なにが言われ、なにがどうなされているか、人はコミュニケーションをどう感じたのかといった入り組んだ相互関係を考えることができる。特に、ことばに対する人々が抱くあらゆる無意識・意識は言語人類学にて言語イデオロギーと呼ばれる。詳細は下記記事を参考にしていただきたい。

まとめ──比較言語・経験科学に根差した文法と行為の理論

 社会記号論系言語人類学は言語と行為の普遍性を軸に構築される言語哲学とも言える。単に抽象的な理論を振りかざしているだけではなく、本記事では紹介しきれないものの、実際の研究としてはとても具体的な事例が言語人類学者によって挙げられている。

 言語人類学者の間で大きな理論を共通しているというよりも、各研究を敷衍すると、ほとんどが社会記号論系言語人類学の枠組みに含まれる状況だとぼくは考えている。つまり、各研究者が「社会記号論系」と自己認識していなくとも、だいたいその範囲に則って言語人類学の研究が遂行されているというケースがほとんどというわけだ。

 その範疇は言語人類学に限らず、そのほかの言語学、人類学、社会学をはじめとした人文社会科学研究に及んでいる。そのため、ぼく自身としては、その総合性を利点として捉え、この議論でないと取りこぼしてしまう視点を研究テーマである「日本社会の自己責任論」の研究に援用してきた。

 今回は詳説しなかったものの、社会記号論の議論はフェイクニュースだの、トランプ現象だのといった、ある種の「なんでもあり」にも思えるポストモダン性が際立った現代社会において、極めて理性的な近代主義的で、批判的な精神を説こうとするものだ。「全体性、再帰性、批判、歴史」を重視する社会記号論系言語人類学にぼくは半分あやかりつつ、半分はポストモダン社会のなかでどうことばの力を再考できるだろうかと考えてきた。うまくできていないことは多いものの、その結果、あるいは経過についてはまた別途、語れればと思う。

参考資料

榎本剛士(2019)学校英語教育のコミュニケーション論 「教室で英語を学ぶ」ことの教育言語人類学試論、大阪大学出版会

小山亘(2008)記号の系譜 社会記号論系言語人類学の射程、ひつじ書房
───(2009a)社会文化コミュニケーション、文法、英語教育:現代言語人類学と記号論の射程、綾部保志・小山亘[編]言語人類学から見た英語教育、ひつじ書房
───(2009b)記号の思想 現代言語人類学の一軌跡 シルヴァステイン論文集、三元社
───(2012)コミュニケーション論のまなざし、三元社

  1. 小山(2012)を参考に改変した会話例を紹介している。 ↩︎
  2. このように、ことばの意味は、言われていることとなされていることのふたつの次元が関わっている。専門的には、言われていることは言及指示的意味、なされていることは社会指標的意味(あるいは、非言及指示的意味、相互行為的意味)と呼ばれる。 ↩︎