世界はオリゴで満ちている──視点から読み解くことばと意味

 オリゴ、それはあらゆる記号の中心、と言ってもいいかもしれない。ずいぶん大げさな表現だが。簡単に言うと、オリゴとは視点のことだ。指標野の中心とも呼ばれる。指標とは、ざっくり言うとある記号とある記号の連続的な関係を示すメタ的な概念で、いわばコミュニケーションによって「意味が指示される」ことを指す。コミュニケーションそのものが指標と言ってもいい。詳しくは下記の記事にて。

 オリゴ(と詩)は言語人類学において重要な考え方の基盤にあるものだ。ことばに興味がある人はぜひとも抑えてもらいたい。できる限りわかりやすく全体的な概観をざっと紹介する。

オリゴとは──「今ここ」の意味と視点の転移

 あらゆる場・文脈、ヒト・モノ・コトは常に「今ここ」を基点に生じる。「今ここ」で生じる出来事は、一回きりの特殊なもので、特定の規則性に還元できない。一回きりの出来事で人は生まれ、コミュニケーションし、人生を歩み、歴史は紡がれていく。固有の出来事をめぐる確率的な偶然性と連続的な必然性の交叉を捉えること、これが理工系の学問とは異なる人文学的な発想の要だと言っても過言ではないだろう。

 いずれにせよ、歴史・社会文化的な出来事を突き詰めることは、世界に遍在するオリゴを読み解くことでもある。そのため、オリゴはとても重要な概念なのだ。では、コミュニケーション論的にオリゴを読み解く事例を考えてみよう。

 たとえば、とある仕事場で社長の御曹司で役員の青木が「これ、来週までにやっといてくれる?」と平社員の須田に言ったとする。この際、オリゴ(今ここ)は発話者の青木の近くにあり、「これ」が指すものは青木が持っていたり、須田にわかるようになにかを指差していると解釈するだろう。当然、「来週」もその発話が行われたときから見て「来週」であり、「やっといてくれる?」は青木と須田の社会的な上下関係を意味している。

 このように、ことばの意味は、言われていることと為されていることの二つの次元が関わっている。専門的には、言われていることは言及指示的意味、為されていることは社会指標的意味(あるいは、相互行為的意味)と呼ばれる。

青木による「これ、来週までにやっといてくれる?」の発話を受けて、須田は「明日から有給を取って旅行に行くのでそれはちょっとできませんね……」と応じたとする。ここで、青木の言った「これ」が須田の応答で「それ」と転じている点に着目してみよう。一般的に、日本語では「これ > それ > あれ」の順で近いところから遠いところへと指示の意味が変化する。もし須田が「これ」を使って受け答えしたら、青木の見ている視点(オリゴ)に合わせ、両者のスタンスを近づけていることになる(フッティングと呼ばれる)。

 それにしても、社長の御曹司である青木に対し、須田は敬語を使うこともなく受け答えしている……。つまり、上下関係はあれど、親しい距離感を築く関係であることも読み取れるわけだ。そのように考えると、青木の「これ、来週までにやっといてくれる?」は、須田にとっては「命令」というよりも、「依頼」と解釈したことだろう。須田が青木に合わせて「これ」ではなく「それ」と言ったのは、仕事の依頼に対し、休みを取ることからの「申し訳なさ」がにじんでいるのかもしれない。

 もちろん、こうした解釈、あるいは記述の正確さはことばが交わされる出来事・文脈を丹念に紐解くことで磨くしかない。言語コミュニケーションは言及指示的/社会指標的意味と、青木と須田の関係といった文脈が絡まり合って、受け取られ、次なる発話に転じていくわけだ。もし須田が同僚に、「いやー、青木さんに「来週までにこれやっといてよ」って言われちゃったんだけど、ぼくの代わりにやっといてくれないかな?」と言ったとしたら、青木の発話は間接的に引用されているため、オリゴはコミュニケーションを介してズレて転移していると言える。

オリゴの専門的な分析

 ただこれだけの説明だと、なぜ言語コミュニケーションを捉える上でオリゴが重要かわかりづらいと思う。ぼくもはじめはそう思った。確かに、よーくことばを観察すると、オリゴはあちこちに転移している。ぼくらはそれを無意識的に「わかっている」。それで? So what?

 まず第一に、観念的にことばの意味を理解するのではなく、常に「今ここ」の場・出来事を基点に考えるための視座を提供した。実は、今でも指標性の次元を無視して象徴性の次元ばかりで言語を論じる学問・研究者が多くいる。深掘りされずに、既成の考え方ばかりの議論を見るとたまに残念に思う。

 第二に、特定の言語や社会文化的現象からのみ考えるのではなく、自然と文化をまたぎ、あらゆるヒト・モノ・コトを読み解くメタ的な概念としてオリゴは有能な概念だということだ。簡単に言っているが、オリゴを基点に歴史・社会文化的現象や諸学問を見ていると、狭い範囲のなかで議論しているかがわかってくる。ゆえに、探るべき論点を見いだせぬまま見逃してしまう場合もあるように見えてくる。つまり、オリゴを基点に考えておくことで視野が磨かれる。

 第三に、象徴的な概念や規則だけではなく、指標的な規則性を読み解くのにオリゴは必須の概念である。たとえば、「恥」とか「建前」といった特定の語彙を基点に、民族的・国民的な特質を論じる日本文化論と呼ばれる議論があった。こうした議論には、特定のわずかな事例を取り上げ、その特徴を諸外国と対比することで、「自文化」というアイデンティティをつくりあげる・確かめるというイデオロジカルな傾向があった。けれども、仔細に言語に埋め込まれた視点や、コミュニケーション上に投影される話者の視点をさまざな事例から考えると、言語には普遍性と文化的相対性(相違)が読み解ける。

 たとえば、日本語と英語の第一言語話者にセリフのない物語『Mister O』を読んでもらい、その物語を説明する語りにおけるジェスチャーの研究(マルチモーダル分析)した片岡邦好の研究がある。片岡によると、日本語話者は全般的に近視点ジェスチャーを用いる比率が高く、さまざまな融合的視点を用いる。一方、英語話者は「頭に載せる」という様態描写には登場人物の視点を用い、「崖を飛び越える」といった経路描写には一貫して観察者の視点を用いる。つまり、空間描写の分析には、様態・経路動詞に加えて、ジェスチャーを介して浮かび上がる視点階層の類型が有効だ。こうした傾向を読み解くことが指標的な規則性への着眼で可能で、雑多な文化論とは異なるというわけである。

 指標的な規則性に着目した言語コミュニケーションの分析はこれだけにとどまらない。たとえば、「わたし」といった一人称代名詞から「彼/彼女」といった発話内照応詞、指示詞、固有名詞、親族名詞、人間名詞、動物名詞、具体名詞、抽象名詞へと段階的な指標性の階層(名詞句階層と呼ばれる)が言語の文法構造の生成にも深く関わっていく。とはいえ、かなり専門的なので今回はこの辺で。

 ぼくらはことばを「わかっている」ようなつもりになりがちだが、意外にそうではなく、よくわからない無意識がことばに限らずわたしたちのあり方を規定しているのだ。このサイトでは、身近な言語コミュニケーションから指標的な規則性や象徴的な出来事の分析をするまなざしをいろいろ紹介していく。ぜひほかの記事も読んでみてほしい。よろしくっ!

参考
片岡邦好(2017)「マルティモーダルの社会言語学―日・英対照による空間ジェスチャー分析の試み―」、井上逸兵 [編]『朝倉日英対照言語学シリーズ[発展編] 社会言語学』、朝倉書店
小山亘(2012)『コミュニケーション論のまなざし』三元社

著者 :小山亘

出版日:2012年4月

出版社:三元社

『コミュニケーション論のまなざし』

 (4.5)

¥1,870(税込)

小山亘さんの社会記号論系言語人類学の理論的基礎をいちばん簡単に解説した入門書。ただし、内容は簡単なわけではないのが難点。