論文:松木啓子 (2009) アカデミックライティングの社会記号論 知識構築のディスコースと言語イデオロギー

 同志社大学言語文化学会『言語文化』 9(4) に収録されている論文、松木啓子(2009)『アカデミックライティングの社会記号論 知識構築のディスコースと言語イデオロギー』を読了したので簡易的にまとめる。

 今回は試験中の「論文の読み方」方式で比較的丁寧にメモを取ったことをそのまま書き出している。以下の7項目順に箇条書きでメモを羅列している。

  1. 研究と社会文化的背景は?
  2. 課題はどう設定されている?
  3. 1と2に即した理論と方法論的位置づけはどうなってる?
  4. 事例データと分析の妥当性は?
  5. 論文における今後の課題や展望はなに?
  6. 自身の研究における関連性や引き継ぐ議論はどんなもの?
  7. 次に読むべき書籍や論文は?

論文情報

論文の概要

 アカデミックディスコース、とりわけアカデミックライティングのジャンルに着目してその規範と実践を論じている。

前半では、言及指示(例:文や語・概念の命題関係)に特化したテキスト観を指示言語イデオロギー(refferental language ideology)とし、それが17世紀英国の学術コミュニティにおいてどのように支配的であったのかが論じられている。

 後半では、歴史性・社会性など広義にどこまでも拡がるコンテクスト観のもとで実践としてなされたアカデミックライティングが問題視されたミード・フリーマン論争を事例に学術コミュニティの知識/権威をめぐるダイナミックな相互作用が論じられている。

 アカデミックディスコースやアカデミックライティングに関する種々の先行研究を整理しながら、記号論系言語人類学の観点から記号の指標性に基づいた分析を行うことで(学術コミュニティによる“we-us-our”など)、ディスコースと学術コミュニティに関わる社会文化的な相互作用に注意喚起することを目的としているという。以下、松木(2009)によるアブストラクト。

論文(Article)アカデミックライティングは、知識と権威の複合的な相互作用から切り離してはあり得ない社会的実践である。本稿の巨視的な目標は、アカデミックライティング、即ち、学術的な制度の中で「書く」―ディスコースを書きことばの媒体を通してテクスト化する―という実践を社会記号論的に展望することである。前半では、アカデミックライティングを媒介するテクノロジーやイデオロギーの制約の問題を検討する。記号、ディスコース、テクストをめぐる制約がどのようにアカデミックライティングを媒介するのかを論じる。後半では、学術コミュニティのコンテクストの重要性に注目しながら、アカデミックディスコースにおける指標性の問題を検討し、コンテクストとテクストのダイナミックな相互作用に注目する。

論文の目次

  • はじめに
  • アカデミックディスコースと規範
  • 知識構築と自律的テクスト観
  • アカデミックディスコースと言語イデオロギー
  • アカデミックディスコースと学術コミュニティ
  • アカデミックディスコースとコンテクスト化
  • おわりに

論文アウトライン

※ 斜文字は引用

研究と社会文化的背景は?

 直接的・間接的にもことばと社会は記号と意味の連鎖関係であり、テクノロジーやイデオロギーをはじめとした制約がディスコースを媒介している。

言及指示に焦点を当てた自律的テクスト観(指示言語イデオロギー;referential language ideology)ではなく、ディスコースを社会的実践と捉えてアカデミックライティングをめぐる規範と実践を検討する。

課題はどう設定されている?

前半(2, 3, 4)

  • アカデミックライティングを媒介する制約の問題の検討
    • アカデミックディスコースはメタレベルにおける記号作用に関わって構築される知/権威であり、特定の「知識」を生む/変えるディスコースの記号論的課題
  • 社会と記号に関する前提とは何か?

後半(5, 6)

  • 学術コミュニティのコンテクストに注目してアカデミックディスコースの実践を検討
  • 目的
    • 当議論の目的はこれらの例に基づいてアカデミックディスコース全体に適用できるレトリックの法則を探すことではなく、記号の指標性に基づくコンテクスト化に注目することによって、ディスコースと学術コミュニティとのダイナミックな相互作用に注意を喚起することであった。

理論や先行研究、方法論的位置づけはどうなってる?

  • 理論:社会記号論系の言語人類学
  • 先行研究:アカデミックライティング
    • Swales(1990)
      • アカデミックディスコース(学位論文、プロポーザル、アブストラクト、リサーチ論文、学術本 etc.)
    • White(1978)
      • アカデミックディスコースとレトリックの問題を論じた記念碑的研究
    • Clifford and Marcus(1983)
      • フィールドワークという方法論を行う人類学者や知識の権威をめぐる政治的問題
    • Hyland(2002)
      • 他分野の学会誌からのデータを基にした言語形式上の違い
    • Atkinson(1999)
      • ロンドン王立協会発行の学会誌をめぐる通時的な研究
    • Chafe(1982)
      • 四つの代表的ジャンル(アカデミックディスコース、日常会話、手紙、講義)、とりわけアカデミックディスコースの統合と文理の特徴を示す“formal writen language”(形式的な書きことば)
    • Biber(1988)
      • コーパスの統計分析(全23ジャンルにまたがる合計960,000語のコーパス)に基づきアカデミックディスコースの特徴を示す
  • 方法論
    •  明確に方法論が位置付けされているわけではないが文献調査と、記号論的な言語人類学による談話-言説分析
    • 脱コンテクスト化とコンテクスト化の2つの記号作用を重視し、知識構築のディスコースをめぐる記号と社会の問題を論じる

事例データと分析の妥当性は?

前半

  • 知識
    • 「今ここ」の「私」の主観的視点―しばしば、「バイアス」とされる―からは切り離された領域において客体化されることによって、「客観的」と解釈されるのである。
    • 意味構築のメカニズムの前提となているものが、ディスコース外のコンテクスト要因に頼らない脱コンテクスト化されたテクスト(decontexualized text)、または、心理言語学者Olson(1977)によれば、「自律的テクスト」(autonomous text)ということになる(Cf. Guiser, 1994)
    • 実際のアカデミックディスコースにはコンテクストとのダイナミックな相互作用が存在するのであり、完全に脱コンテクスト化された「自律的テクスト」はバーチャルなメタ概念であって、現実に実践されるわけではない。特に、アカデミックディスコースと学術コミュニティとの相互作用の問題を考える時、テクストが全く自己完結していることは現実にはあり得ない。引用のされ方、他のテクストへの取り込まれ方によって固定化され、超時間的な地位と普遍的な権威を得るというのは究極的にはイデオロギーである。
  • Olson(1993)
    • 自律的なテクスト内の指示的意味領域と解釈領域の明確な分離こそが「客観性」の構築に貢献し、近代科学の発展に大きく影響を与えたことが論じられている。
  • 17世紀英国のアカデミックディスコースと言語イデオロギー
    • 17世紀英国の実証主義者たちにとって、観察や実験を通して発見される自然界の物質、物体、現象をどのように正確に表象するのかという問題は言語の問題でもあった。
      • プレーンスタイル:“clear”, “naked”, “natural”, “positive”など「明晰さ」の重視
    • ロックにとっての記号
      • 記号は「物」を意味するのではなく、物の「観念」(idea)を意味する。
      • 存在するすべての物が固有名を持つことは不可能、無駄であり、我々が物の意味を理解できるのは一般的、集合的な記号によって表される抽象的な観念が介在するからだという。
        • 一般的名辞(“general terms”)
    • 五つの合理的な「方策」を段階に応じて論じている(指示言語イデオロギー;指標性の抑圧)
      • 省略

後半

  • アカデミックディスコースのコンテクスト
    • つまり、テクストを取り巻く歴史的状況。物理的状況、社会的状況、文化的状況すべてがコンテクストに成り得るのである。問題は、書き手がこれらの多様なコンテクストの中からどの情報をディスコースに取り込んでいるのか―コンテクスト化しているのか―ということになる。更に、オーディエンスとの相互作用の問題を考えれば、コミュニケーションを通して新たなコンテクストが形成されることになる。
      • アカデミックディスコースの書き手と読み手は多くの場合同じ学術コミュニティのコンテクストを共有しており、本稿ではその重要性に注目したい。
  • Hyland(2001)
    • アカデミックディスコースにおける書き手と「想定された読み手」(“implied reader”)との間の相互作用を論じている。
    • 問題となるのは、書き手が想定された読み手にいかに心理的に近づいて書くのかという点である。
    • 第一人称複数代名詞“we”の重要性に注目している。
      • 書き手は自分自身と「想定された読み手」を同じ“we”の共同体の成員にすることによって、互いが学術コミュニティの成員であることを確認し、連帯感を構築するのだという(Hyland 2001: 559)
        • 本稿では、Hylandが論じていないコンテクスト化の社会記号論的側面に焦点を当てる。
        • ディスコースが「今、ここ」を超越した記号と意味の連鎖の中に位置づけられていることを再認識する必要がある。
          • ↑どうやって?
          • 確かに、書きことばのコミュニケーションでは受容(reception)の実態は書き手からは見えない領域にあり、議論はあくまでも仮説的なものに留まる。しかし、ディスコースとコンテクストの相互作用を考える上で具体的には見えないオーディエンスに関する社会学的理解は不可欠である。
            • Wamaer(2002)
            • 三つの公衆(境界は時として曖昧になる)
              • 1. オーラルコミュニケーションにより「今、ここ」を共有する「公衆」
              • 2. 抽象的な「公衆」(例:社会、世間、国家)
              • 誰もがそこに帰属しているというイデオロギーによって成立する「公衆
              • 3. 具体的なディスコースの「循環」(circulation)によって成立する「公衆」
                • ディスコースの循環がなければ存在しない公衆
                • Wamerの第三の「公衆」の境界線は曖昧で潜在的には常に外に向かって拡がっている。学際主義やグローバリズムによって拡張する学術コミュニティの場合、どのようにしてアカデミックディスコースとコミュニティの相互作用を論じることが可能なのだろうか。本稿では、このような場合、オーディエンスの想定は具体的な学術コミュニティの構成員を前提として行われるのではなく、より象徴的、抽象的な学問分野やその知識をめぐるイデオロギーに基づいて行われること、更に、その過程において学問分野のアイデンティティが創造されていくという意味生成のダイナミズムに注意を喚起したい。
                  • 学術文化イデオロギー
                  • 記号と意味の連鎖の中にあることへの本稿における指針。
    • Wales(1996)「ワークショップの“we”」(“workshop we”)
      • Walesによれば「ワークショップ=論証のプロセス」のコミュニティ→連帯感の創出
        • 「含有」(inclusion)「排除」(exclusion)の法則が指標的に特定の共同体意識の形成に関わっている。
    • 事例:ミード・フリーマン論争
      • 1983年1月31日ニューヨーク・タイムズ紙夕刊の第一面記事
      • “New Samoa Book Challenges Magaret Mead’s Conclusion”
      • 1928年に出版された人類学の古典、マーガレット・ミードによるサモア思春期に関する民族誌“Coming of Age in Samoa”に対する挑戦
        • ミードはボアズの弟子でもあり、アメリカ人類学とその発展の中で構築されてきた知識の正当性に対する権威への挑戦であった。

論文における今後の課題や展望はなに?

 アカデミックディスコースにおいても、とりわけ学術コミュニティにおいてどのように循環しているかは論じられているが、その時代や状況におけるオーディエンスがどのようにその記号作用に関わり、どのような事態をもたらしているのかがもっと知りたかった。

今後の課題

SNS時代におけるアカデミックディスコースがもたらす記号作用とは何か?

自身の研究における関連性や引き継ぐ議論はどんなもの?

  • 関連性
    • 教養ディスコースが気になるので、先行研究や論展開など参考にできる。
  • 議論
    • SNS時代のアカデミックディスコース分析
    • サイエンスコミュニケーションとの関係も論じていくべきだろう。

次に読むべき書籍や論文は?

次に読むべき書籍や論文は?

論文ミニレビュー

 知-権威の問題とも大きく関わるアカデミックディスコースを、アカデミックライティングという「ジャンル」に着目し、前半ではアカデミックライティングの先行研究や記号論的特徴を中心に論じ、後半では「コンテクスト」と「公衆」の議論を引き合いにミード・フリーマン論争について「we-us-our」の第一人称複数代名詞に注目して分析している。方法論的な位置づけに関しては曖昧ではあるものの、先行研究を中心に多角的な論を進め、過去の事例を引き合いにアカデミックディスコースによるコミュニティ・連帯感の創出をはじめとしたダイナミックな記号論的作用を論じている。明示的にフーコー的なディスコース概念を引き合いにした「知識/権威」を論じた日本語の記号論系言語人類学の著作は少ない中、比較的多くの先行研究を整理しながら論じている論文であった。

雑記

 本論文を読みながらメモを比較的丁寧に取ったので、最近、少しずつ実践している「論文の読み方」にならって、普段、Scrapboxに取っているメモをほぼそのまま記事にも反映させてみた。

 書籍も論文を読む数も膨大になっていくと整理が大変だ。頭がいっぱいになってきたので、改めて整理の方法を模索している。その中で、落合陽一さんの「論文の読み方」を援用した記事(実験系)をさらに援用させてみたのが、今回の7項目である。下記が一連のポイント箇条書きだ。

落合陽一流の論文の読み

1. どんなもの?
2. 先行研究と比べてどこがすごい?
3. 技術や手法のキモはどこ?
4. どうやって有効だと検証した?
5. 議論はある?
6. 次に読むべき論文は?

実験論文への応用

1. どんなもの?
2. 批判されている理論は何?
3. どういう文脈・理路をたどっている?
4. 対象となるスコープにおいて網羅性と整合性はある?
5. 議論はある?
6. 次に読むべき論文は?

社会文系論文への応用

1. どんなもの?
2. 批判・再考察されている理論や対象は何?
3. どういう文脈や方法論を用いている?
4. 方法論と調査・分析結果の妥当性は?
5. 自身の研究と関係分野における議論はどんなもの?
6. 次に読むべき論文は?

事例研究の読み方

  1. 研究と社会文化的背景は?
  2. 課題はどう設定されている?
  3. 1と2に即した理論と方法論的位置づけはどうなってる?
  4. 事例データと分析の妥当性は?
  5. 論文における今後の課題や展望はなに?
  6. 自身の研究における関連性や引き継ぐ議論はどんなもの?
  7. 次に読むべき書籍や論文は?

 今回は、最後の「事例研究の読み方」を用いてまとめてみた。論点をまとめつつ、次への展開を踏まえて書籍や論文の選定をして読み進めていくのに、こうした項目があるとやりやすい。

 ただ、まだこの読書形式にし始めたばかりなので、今後も改善していくつもりだ。時間はかかるものの、いざ「読み返す」となったときや文章に引用・援用させたいときはやっぱりこうしてメモ書きでも残しておくと楽になる。