嫌いなタイプとかいない。一人一人心を込めて嫌いになっています。
SNSで見つけたのがこの投稿。思わず苦笑い・・・笑
ただ嫌いになるのも疲れるので、ほどほどに発散して次に向かって行くエネルギーに変換するのがよいとぼくは思う。
SNSは短文でその人のこだわりなり感情なりが表現できるメディアだから、短く感情を揺さぶる投稿がウケやすい。こうした投稿ばかりになってしまうと物を深く考える力はあまり養われない。ただこうして個人サイトに引きこもってしまうと、せっかく研究なり仕事なりで培った「考える力」を届けることはSNS時代に厳しいだろう。
うまい表現と思ったものをこうして集めてみるのも面白いかもしれない。どう書かれているのか、なぜバズったのかと分析するなどもできそうだ。たとえば今回の投稿はその人なりの「こだわり」がスパッと表現されている。「嫌いなタイプはいない」と一度否定した上で、より上位のこだわった「嫌い」になりかたを表現したのがこの投稿だ。より抽象的に分析すると、カテゴライズされた「軽い嫌い」ではなく、対照的に個別的な「重い嫌い」を重ねて後者の「嫌い」のメッセージを強調している。ちなみにこのような対照性や繰り返しが詩的機能が司っている「反復」の原理というやつだ。
こんな感じで分析はできるのでいくつかやってみてもいいかもしれない。その分析をもし活かすなら「自分の場合のこだわり」を詩的に乗せられるといいのだろう。ただ物事の本質について、常々考えられるように心がけたいと思うので、考えた上でその考えたプロセスを含まずにズバッと言えると最高なんだけどな。