青い鳥の行方

 Twitterをまともに使い出したのは確か2013年の大学入学後からだ。高校ではミスチル好きが転じてニックネームがとしちるとなったものの、大学時代では『青い鳥』のチルチルとミチルを裏モチーフにしていた。そんなわけで、幸せの青い鳥がTwitterからXに代わってしまったのは残念だ。イーロン・マスクは自身の過去の夢をお金で実現しようとし、Xなるものは金融商品を扱うスーパーアプリを目指すものだとか。

 正直、2010年代後半から立て続けに起きるある種の非現実感に感覚がマヒしているような気もするのだけど、「またか」みたいな感想を抱いてしまう。なんというか、やっぱり現実ってこういうもんだし、そんな現実と付き合っていくしかないというか。大変だけど。

 そんなことやら、宮崎駿の『君たちはどう生きるか』鑑賞も重なって、現在執筆中の博論がひと段落したタイミングでいろいろ考えながら昨日はお酒を飲んでいた。それでついつぶやいてしまったのがこれ。

 これは自分のこれまでの経験からふつふつと湧いてきたものだったのだが、いま見返すとイキっている感が強い。ぼくの場合、Twitterを思いつきやただのつぶやきとして使ってきたのもあり、諸般の事情で少し語り口を変えたいと思ってたのもあった。だから、最近はある種の「発声練習」の心持ちだった。とはいえ、やはりイキっている。

 そんな折になんとなく漁って出会したのが下記記事。詳しくは読んでもらいたいのだけど、美少女ゲームの核心を「救われていると同時に救われていない」両義性に見出している。

 今回のTwitter改名事件にあるようにそうそう「幸福」なるものに努力したところで出会えない。足元で見つけた青い鳥は去ってしまう。それが『青い鳥』の帰結であった。今回のぼくのつぶやきは、自分の経験と社会の蠢きをやや安易に投影したもので考えが浅かった、いや人生の見方が固かった、のかもしれない。

 つぶやき、されど文章。書き手としての自覚、いや人生が問われた気がする。

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