凡人の非凡な戦略

 師走、寒さも相まってかついつい物思いに耽ってしまう。30歳となってしまった年の瀬に近づいてきた。30歳というのはやはり一つの節目。自分の人生をなんだか振り返ってしまう時期。先週は博士論文の中間発表のようなもの―正確には2年目の終わりに審査員の先生方への報告―が終わったこともあり、物思いは余計に深まる。

 そんな最中に久しぶりに哲学について深く考えた。ぼくにとって哲学について考えるということは、哲学者が生きた人生と思索と対話し、意識が深く沈んでいくような感覚に陥ることを指す。だいたい、こんなときは物事に手がつかない。何もできなくなる。読んで考える意外。

 意識の沼に溺れていたところ、そこから救い上げてくれたのが2022年W杯決勝アルゼンチン vs フランスの試合、特にメッシの有終の美を飾るプレイと功績、何よりも「神」が誕生した瞬間を目にしたことだった。92年生まれ、小学生のころから高校生まで必死にサッカーにやってきた自分にとって、メッシは輝かしい存在のひとりだった。どうでもいいが、ぼくはアルゼンチンの白と水色のカラーが好きで、ナショナルチームで唯一、アルゼンチンのユニフォームを持っている。アルゼンチンのユニフォームを着てつくばのフルマラソンも走った。なんとなくアルゼンチンもメッシも思い入れ深い。自分の青春に彩りをさりげなく与えていた存在が、有終の美で世界一に輝く姿を目の当たりにし、夢から目が覚めるようだった。

 メッシのようなとは言わなくとも、しがないどこかの人間に感動を与えられるような、どこかの誰かを救うような何かをどう生み出せるだろうか。あるいは、どうそんな営みを継承できるだろうか。どうすれば自分の営みは普遍に届くだろうか。最近、博論に向き合い、仕事をし、人生を振り返るなかでそんなことを問い続けてしまう。とはいえ、やれることをひたすらにトライ&エラーでやるしかない。それが凡人なりの非凡な戦略だ。

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