どうも。青山俊之です。いわゆる日本社会の自己責任論なるものを研究しています。研究を始めたばかりのころ、とある失敗をきっかけに、東京喰種の名台詞「この世の不利益はすべて当人の能力不足」かについて考えたことがありました。
それは遡ること2015年12月の年末、年明け早々に短期留学で使うデビッドカードをなくしました。確かに部屋に置いてあったはずが、どうしても見つからない・・・急いで、再発行の手続きをしたのですが、年末年始なこともあって速達便のやり取りをしてもかなりギリギリとのこと。そんな時に思い浮かんだのがこの台詞。
この世の不利益はすべて当人の能力不足
このセリフを発したのは、「東京喰種(とうきょうぐーる)」の主人公「金木研(かねきけん)」。彼は心穏やかな文学好きの青年だったが、幾多の「悲劇」に出くわしていくことでこのようなことばを吐くほどに変貌していきました。
経済思想的な発想から考える
ズバッと突き刺さるこのセリフ。確かにその通りです。ど正論。ぐうの音も出ない。だが、本当にすべてがそうなのでしょうか。
確かに、自分に起こりうる不利益というものは自分で回避するというのが基本的な原則でしょう。だが、だからといってそれで「すべて自分が悪い」というのはあまりにも自虐的だというのがぼくの考えです。よく言われる「自責」というのは怪しいことばで、こと日本では、積極的に推奨するものではないと思っています。
そもそも、自己責任論ですべてがすべて自分の責任だけで処せるものばかりではないはずです。生きていればいつかは予期せぬことに出くわす。だからこそ、起こり「うる」ことを考慮し、社会福祉という相互扶助のシステムを作り、いざとなったら安全を保障する。すべては個々人の責任に還元できないし、現実の社会制度としてそうされてもいない。
とはいえ、難しいのはすべてがすべて社会が安全を保障しているわけではないことにもある。現代の社会は、適度に上手く競争させたり、自由に物やサービスを売り買いしていくことで成り立っています。こうした状況は経済思想的には、社会主義と資本主義の対立というよりも、修正資本主義と言われます。
「すべて自分が悪い」から「変えられる自分から変えていく」
とはいえ、「誰かがやってくれる」という他責思考もよくない。この発想から強い自己責任論を擁護することもできる。確かに、「わたしのせいじゃない」といつもいつも責任を免れる姿勢もよいとは思えない。だが、「あなたのせいだ」という自己責任論もまたその語り手の自己責任から逃れる口実にもなっているとしたらどうだろうか。意図せぬ効果を考慮にすること、それが自己責任論ではなかったのか。
どうこの膠着した状況を脱するか。私見では、「変えられる自分から変えていく」、つまり“Do it yourself”と“All by myself”の精神を組み合わせるのがいい。誰かがやらないなら「自分でやる(Do it yourself)」、そうしてやったことに対し「自分でやった(All by myself)」と引き受ける、そうして試行錯誤しながらアップデートしていく。
「この世の不利益は当人の能力不足」は確かに強いことばだ。真実味がある。けれども、それは誰かの責任を問いつめるのではなく、わたしを変えていくことにこそその確からしさがあるのではないでしょうか。「自分」という身体、あるいは器はそう簡単には変わらない。あらゆる経験は「自分」を通す。そう考えると、「この世の不利益は当人の能力不足」は身が引き締まる考え方として再解釈できます。