「いいなー。自分の地元にはなにもないよ」。友人と故郷に関する雑談を交わした際、ぼくがふとこぼした一言だった。ぼくの出身は千葉県茂原市で、千葉県のちょうど中央に位置する。地方拠点都市に指定され、付近の町村の中では栄えているものの、千葉市や東京へのベッドタウンとしても機能している街だった。
ただ、茂原市を思い浮かべる際のぼくの印象は、それ以上でもそれ以下でもない。強いて言えば、郊外化の影響で駅はさびれ、その近くの商店街はシャッター商店街のロケ地として使われたこともあり、「ロケ地の街」だなんて打ち出している。それくらいだ。
外に出よう。高校の進路は自然と茂原市の外へ向き、大学選びの条件は最低、県外が条件からはじまった。地元が嫌いだったわけではない。ただ、同じ場所に留まるのではなく、見聞を広めたかったのだ。だから大学に進学してからは国内外を動き回った。一通りの見識を広めた大学院時代、友人の迸る地元の歴史、政治、酒屋、親類関係を聞きながらこぼしたのが冒頭の「自分の地元にはなにもないよ」だった。
そんなぼくの反応に対し、「そんなことないでしょ。気づいてないだけだよ」と友人は気を遣ったことばをかけてくれた。それに応えようと目を宙に向けると、あることをふと思い出した。「そういえば家の前に掩体壕(えんたいごう)ってのがあるよ。戦闘機を隠すために使っていたみたい」。住宅街が佇む中に実家はあったが、前方には雑木林が茂っており、その近くに掩体壕がある。私有地だったためそこに入ったことはなく印象が薄かったのだ。
どうしてそのことを思い出せなかったのか。今となっては不思議だが気になって後で調べ始めた。どうやら天然ガスが産出する茂原市では戦前に国際空港の建設計画が建てられていたらしい。計画は戦中に頓挫し、その予定地は軍事飛行場へと転用された。出身の小学校も軍により強制移転されたものだったらしい。軍事基地は戦後には解体され、これらの跡はほとんど残されていない。ただ真っ直ぐ伸びたかつて滑走路だった道が1キロ道路と呼ばれているくらいだ。
外に出たかった10代、動き続けた20代だったが、30代は原点回帰の歳なのかもしれない。世界は茂原からも広がっていた。