似ていることの不思議

「似ているってことはすごく変なことなんだよ」と東浩紀さんがどこかで語ったことが引っかかっていた。「似ている」と感じるなにかは日常にあふれている。けど、その似ているという日常の感覚が変だという。わかるようでわからなかったが、その不思議さが少しわかった気がした。そのきっかけが次の一文に出会ったことだった。

ちょうど火葬場から遺骨が出てきたとき、ふっと後ろをみるとカマキリがいたんです。そのカマキリ、窓のところから離れようとしないんです。娘の生まれ変わりじゃないかって、思ったんです。痩せた娘でしたから。

下川裕治(2005: 20)『香田証生さんはなぜ殺されたのか』新潮社

 著者の下川さんの元同僚であった女性が、中国の雲南省でバス事故に遭い死亡し、その遺体の損傷は激しく、現地で火葬にふされた際に両親が語ったことばだそうだ。亡くなった女性遺体の損傷が激しいということは、おそらく化粧した遺体にも会えなかったのかと思う。だからこそ、火葬場にて遺骨と出会した際、生前の娘さんを考えていただろう両親には痩せた娘と「似ている」カマキリが「生まれ変わり」だと感じた。こう言われれば、確かに似ている。だが、不思議だ。やはり日常的な生活世界で考えれば早々、カマキリと娘を似ているとは思わないだろう。

 ところで、香田証生さんとは、2004年10月にイラクにて人質となった日本人旅行者で、犯行グループが現地に派遣されていた自衛隊の撤退を日本政府に要求するも、政府はそれを飲まず、結果的に殺害された青年だ。下川祐治さんがその香田さんの旅行の足跡をたどった内容を『香田証生さんはなぜ殺されたのか』に書いている。下川さんはイラク渡航の前にニュージーランドにワーキングホリデーで滞在しており、その滞在に関わった施設からは取材を断られたそうだ。そこで下川さんは「彼らにとってマイナスのイメージにはつながらないのではないか」、「縁起が悪いということなのだろうか」と内心を吐露している。

 正直、ぼくはそうは思わない。ワーキングホリデーを仲介する営利企業として、「世間を騒がせた事件」をどこぞと知れない人物にむやみやたらと語らせることを避けたのだと思う。この事例もどこか「似ている」とは思わないだろうか。下川さんも自分の経験から縁起の悪さを想像したことと、両親がカマキリに痩せた娘を重ねたことが「似ている」と。

 だから、ぼくは「似ている」ことの不思議にようやく思いがいたった。まったく異なった現象が、ある文脈のなかで生きたある人にとってはなにかが「似ている」と感じる。こうした現象を冷静に考えると、「似ている」というのは確かに不思議で、そう簡単に日常的なさも当たり前の現象だと言いくるめてしまえない、なにかがある。

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