なんの気なしのことばと回復

 最近、ネットで書く気力が回復してきている。理由としては身辺整理を進めてきたこと、一定程度金銭的な安定感を得られるようになったこと(まじお金大事)、かつ「SNS」を見なくなったこと!!!三つ目が大きいかもしれない。とにかくここ半年はSNSを開く度に何かイライラするものを見ては気力が削がれていた。挙げ句の果てには「顔」を見ているだけでイライラするようになった。後輩にそんなことを愚痴ったら「それは重症ですね笑」と言われてしまった。

 確かに重症だったのかもしれない。

 改めてなんのために文章を書くのか悩んでいた。悩むというより、うまく自分の中に「確信」めいたものを見出せなかった。そんな不安定な状態であれば、さすがにことばも出ては途中で止まってしまう。

 しばらく考えあぐねていたが、一つ定まった。それがいつか自分と似たような問題意識や課題にぶつかった誰かのためにことばを残しておこう、というものだ。

 誰かにとっての古い知見は、誰かにとっての新しい視点かもしれない。最近は不安定ながら研究に勤しんでいたので、ついつい自分へのハードルを高めてしまっていた。しかし、それは「研究」を介して表現すればいいことだ。もっと気楽に考えたことをしっかりことばに残していくことを続けていこうと思う。

 こうした思いを抱くひとつのきっかけが、指導教員の井出里咲子先生に「プロとして」ということばをよくもらうようになったことがある。これまでこのブログを運営したり、Web制作したり、研究したり、インタビュー記事を書いたり、イベントを開いたり、大学事務の仕事を手伝ったりと、いろんなことを手広くやりすぎて、それはそれで「自分が何者なのか」ということがぼやけてしまっていた。

 けど、研究指導をしてもらうにあたって「プロとして」という叱咤激励をやんわりと受け取るようになったことで何か自分の中で決意めいたものが生まれた。勉強を進めて研究の位置付けがより明確になったことも大きいと思う。とにもかくにもこうした諸々の状況の中で、「書く気力」が回復してきた。

 こうした「回復」のプロセスというのはきっと多様で人によってまちまちの諸事情の中で、何かしょうもないようなふとしたきっかけがそれに影響をもたらしていたりするのだろう。こうしたことも、これまでを振り返りつつ言語化していきたいなと思う。

Recent Updates
2024.11.16
「いいなー。自分の地元にはなにもないよ」。友人と故郷に関する雑談を交わした際、ぼくがふとこぼした一言だった。ぼくの出身は千葉県茂原市で、千葉県のちょうど中央に位置する。地方拠点都市に指定され、付近の[…]

- - -