昨年の秋、仕事の関係で長崎市を訪れる機会があった。長崎の訪問は二度目になる。前回は学部生の頃に1, 2日滞在しただけであった。その際に印象に残ったのが、前回記事「悪くない嘘の「嘘」──高浜寛『ニュクスの角灯』」でも言及したのと同じく、宿泊したゲストハウスに貼られた「反原爆」のポスターであった。
ぼくは関東圏でぬくぬくと育った、いわゆるゆとり世代に該当する。そんなぼくにとって、土地に刻まれた歴史の重みのリアリティを感じ取る貴重な経験となったのがはじめての長崎訪問であった。そこで、二度目となる滞在では、原爆資料館を訪れることにした。
原爆資料館で抱いた違和感
原爆資料館は、原爆による被害を当時の状況を再現した建築物、3D地図上に投影される映像、また核弾頭の取り扱いをめぐる国際動向などによって原爆の悲惨さを知らしめるメッセージ性の強い展示が多く飾られている。
ただ、長崎への核爆弾の投下は第一目標であった北九州の小倉の兵器工場から視界不良のため変更されたもので、いわば長崎への投下はたまたまだった。もちろん原子力爆弾の残虐性は今後も訴えなければいけないことだが、その悲惨な歴史の影にある「偶然性」が表立っていないことに少し違和感を抱いた。
歴史を記録する対照的なスタイル
今回の長崎訪問では、当初の計画にはなかった軍艦島ツアーにたまたま参加した。ぼくが参加した軍艦島ツアーをガイドする会社が運営する軍艦島ミュージアムなるものがある。正直、期待してなかったのが、このミュージアムが思いのほか面白かった。
軍艦島ミュージアムには、展示物のみならず、ビルフロアの壁一面に横数十メートルに及ぶ巨大なスクリーンが設置されている。巨大スクリーンに映される映像には、かつて近代化の途中であった軍艦島で暮らす人々の生活、そして海に囲まれ、嵐の際には激しい高潮に見舞われる厳しい環境がスペクタルに描かれる。
ちなみに、当時、軍艦島ではお金の使い道がなく三種の神器の普及率がほぼ100%であったらしい。それでいて、日本で初めて鉄筋コンクリートの建物が建築されるなど、実は当時、日本で先端をいく暮らしを送っていたのが軍艦島であった。数十メートルの巨大スクリーンに映される、過去の先端な暮らしに思いのほか、ぼくは衝撃を受けてしまった。
原爆資料館と軍艦島ツアー。二つは大きく性質が異なった対照的な歴史アーカイブのスタイルである。本来、比べることはおかしなことだが、体験を演出するという観点からは軍艦島ツアーの方にどうしても魅力を感じた。今回、筆者が書き記したのはただの素人感想である。二つの歴史の重みはもちろん異なる。だが多くの観光客の目を惹くのはおそらく軍艦島ツアーの方だろう。スペクタルな演出に惹かれる現代の情報社会において、どう過去の教訓を継承できるのか。二度目の長崎滞在では、テクノロジーと記録・記憶の関係について考えさせられた。